2015年8月11日火曜日

ラーメンはいつからこんなに説教くさい食べものになってしまったのか?:ラーメン道って何?

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●The Ramen Girl - OFFICIAL TRAILER
2009/04/17 にアップロード


現代ビジネス+ 2015年08月10日(月) 速水健朗
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/44647

ラーメンはいつからこんなに説教くさい食べものになってしまったのか
【まえがき公開】速水健朗=著『ラーメンと愛国』

●たかだか100年あまりの歴史しか持たないラーメンは、どうして「国民食」となったか? 
 「ラーメン職人」が作務衣を着るのはなぜ? 
 ラーメンの「進化」を戦後日本の変動と重ね合わせ、日本人の持つ国民性を浮かび上がらせるユニークな現代史。
 速水健朗著『ラーメンと愛国』のまえがきを特別公開!

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まえがき

 食べものに関するエッセイの名手でもある漫画家の東海林さだおが、ラーメンの具についてこんなことを書いている。
 東海林がラーメンを食べてきた五〇年の歴史の中で、ラーメンの具からナルトとほうれん草が消え、新たに海苔と煮玉子が「登場して定着した」というのだ(『週刊朝日』二〇一〇年一二月三一日号)。

 なるほど、ラーメンほど激しく変化する食べものも珍しい。
 ナルトやほうれん草が海苔と煮玉子になったという具材の変化だけではない。
 しょうゆやみそ、塩が定番だった時代から、現在の主流はとんこつ魚介、しょうゆとんこつ、そしてつけ麺が定番となった。

 また、ラーメンほど呼び名が変わる料理も珍しい。
 かつての華僑の居留地で南京そばと呼ばれたのが始まりで、以後、支那そば、中華そば、ラーメンと変わってきた。
 さらに、いまどきのラーメン屋は、カタカナでラーメンを名乗らず、代わりに麺屋、麺処などが主流になりつつある。

 ラーメン屋の内外装も変わった。
 赤地に白抜きでラーメンと書かれたのれんや赤の雷紋の入った丼は消えた。
 現在のラーメンのイメージカラーは、赤ではなく黒や紺だろう。
 看板やメニューの文字は手書きで書き殴った感じ。
 これと同様に、店主・店員の格好も変わる。
 白いコックスーツは皆無。
 作務衣または、漢字で何やら書かれた紺や黒のTシャツ、頭にはバンダナかタオルを巻いている。

 戦後の日本の社会の変化を捉えるに、ラーメンほどふさわしい材料はない。ラーメンの変化は時代の変化に沿ったものである。本書が試みようとしているのは、そんなラーメンの変遷を追って見た日本の現代史の記録である。

本書はラーメンについて書いた本であるが、ラーメンの歴史そのものに何か新しい項目を付け加えたりする性格のものではない。
 ましてや美味しいラーメン屋の情報などについても書いていない。
 日本の戦後のラーメンの普及、発展、変化を軸とした日本文化論であり、メディア史であり、経済史、社会史である。

 とはいえ、大上段から刀を振り下ろそうと思っているわけではない。
 ラーメンという最も大衆的なところから、日本人について考えてみたいというのが筆者のスタート地点である。

 筆者のラーメンへの興味、それは端的に言えば、以下の二つに集約される。
一つはグローバリゼーション、
二つ目はナショナリズムである。

 開国後の日本において、つまりグローバリゼーションのとば口である明治時代に中国から伝わったラーメンは、日本で独自の進化を遂げ、すっかり日本の料理となり、いつのまにか国民食とまで呼ばれるようになった。
 〝国民食〟と誰が言い出したのかは知らないが、それは何の疑問もなく受け入れられ、もはや定着した呼び名である。
 日本古来の食べものでもなく、たかだか一〇〇年あまりの歴史しか持たないラーメンが、なぜこのように呼ばれるようになったか。
 それが、本書を書くに至った理由の一つである。

 ラーメン評論家の故・武内伸は、
 南京そばが現代のラーメンへと進化する上で、三つの大きな発明
があったという。
一つ目は「スープに醤油を入れたこと」、
二つ目は「鰹節や煮干など和風ダシを加えたこと」、
三つ目は「麺を縮らせたこと」
であると。

 日本人は古来、外から伝えられた技術を自分たちの創意工夫によってローカライズ、つまり日本人に適したものに作り替えることを得意としてきた。
 かつての稲作技術、火縄銃、近代化以降は、自動車や半導体、文化産業ではアニメやゲーム、和製ヒップホップやジャパレゲなんかもそうだ。
 これらはすべてグローバリゼーションのローカライズの事例である。
 こうしたケースの中に、ラーメンも加えることができるのである。

 もう一つの興味は、ナショナリズムである。

 かつては中国文化の装いを持っていた(雷紋や赤いのれんに代表される)ラーメン屋の意匠が、すっかり和風に変わった。
 さらには、作務衣風の衣装をまとった店員や手書きの人生訓(相田みつをや片岡鶴太郎を思わせる)が壁に掛けられているようなラーメン屋が主流になった。

 こうした変化を本書では〝作務衣化〟と呼び、それ系のラーメン屋を〝作務衣系〟と呼ぶことにしたい。
 こうしたラーメン屋の変化は、常々気にかかっていたものであり、命名が必要な気がしていた。
 そう、いつからかラーメンは、気軽なファストフードから行列をつくる大仰な食べものに変わり、脱サラしたオヤジではなく活気のある若者がつくるものに変わり、店内には説教くさい手書きの人生訓が飾られるようになった。

 ラーメンはいつからこんなに説教くさい食べものになってしまったのか。

「人生は自己表現、ラーメンは生きる力の源」
「俺たちは今、まさに旅の途中だ。(中略)一杯一杯のラーメンを元気に真心こめてお客さまにお届けしよう!」

 これらは、どちらも別々の超有名ラーメン屋に、実際に掲げられている標語である。

いまどきのラーメン屋は、
 ラーメンにのせて自分の思想まで語り出しかねない。

 「ラーメンは俺の生き様」と大きく手書きで貼り出すラーメン屋が実際にある。
 だからどうしろというのだろう。
 とにかく、
 ある時期からラーメン屋というものが、自らを語り始めるようになり、
 ラーメンは「ラーメン道」になったのだ。

ここでは、本書のおおまかな道筋を示しておこう。

 第一章は、戦後の日本の食生活の変化である。
 米食を主体としてきた日本に戦後入ってきた小麦食。
 その背景に迫る。
 テーマは「食文化帝国主義とラーメン」。

 第二章は、戦前の日本に根付かなかった大量生産が戦後に根付いていった過程を、食品分野における大量生産方式の最初の導入例であるチキンラーメンの物語に沿わせて取り上げる。
 テーマは「日本のものづくり」。

 第三章は、戦後の重要な年である一九五八年を中心に、ラーメンが戦後の日本人の記憶と結びついていく過程を追いかけ、ラーメンが「国民食」となる理由について考察する。
 テーマは「日本人の記憶の中のラーメン」。

 第四章では、一九七〇年代以降を中心とした国土開発を、ご当地ラーメンの普及に結びつけて考察していく。
 テーマは「田中角栄とラーメン」だ。

 第五章は、一九九〇年代の社会の変化を、メディアの変化として捉え、テレビのリアリティショーとラーメンの関係、そしてさらにはナショナリズムとの関わりについて考察する。
 テーマは「なぜラーメンはラーメン道になったのか」。

 ラーメンとは、西洋料理ではスープ、主菜、主食として別々に運ばれてくる料理を一緒くたにした料理である。
 元々西洋料理のシェフであり、コロラド大学の学生時代、伊丹十三監督の映画『タンポポ』に影響を受けたことが縁となって東京でラーメン屋を開業した「アイバンラーメン」のアイバン・オーキンは、ラーメンを「小宇宙」と捉えている。
 一つの丼の中に食事のすべてを入れ込む日本人の料理観が、日本人のラーメン好きの国民性にも表れているという。

 これは、日本の庭園とも比較するべきだろう。
 日本の庭園は池を海に、置き石を山に、植物を大自然に見立てることで、狭い空間に凝縮された世界=宇宙を表出させようとする。
 ラーメンも、一種日本庭園に相通じる、料理を凝縮した宇宙である。

 このような日本人の持つ国民性は、ふしぎなくらいにラーメンを通して浮かび上がってくるのだ。
 歴史、記憶、グローバリゼーション、ナショナリズム、日中関係、日米関係、あらゆる素材がまるで魚介系と動物系のスープのように濃密に絡み合い、調和がとれているのがラーメンなのである。

 果たして、ラーメンとは日本人にとって何なのか? 
 さっそくそれを探る旅に出たいと思う。
 ラーメンとはまさに旅であり、俺たちはいま、まさに旅の途中なのである……!?
 『ラーメンと愛国』読めば必ず誰かに話したくなる美味しい一冊!

【目次】
第一章 ラーメンとアメリカの小麦戦略
第二章 T型フォードとチキンラーメン
第三章 ラーメンと日本人のノスタルジー
第四章 国土開発とご当地ラーメン
第五章 ラーメンとナショナリズム
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速水健朗(はやみず・けんろう)
ライター、編集者。コンピュータ誌の編集を経て現在フリーランスとして活動中。専門分野は、メディア論、都市論、ショッピングモール研究など。TBSラジオ『文化系トークラジオLife』にレギュラー出演中。


 ラーメン映画といえば、上記の『タンポポ』と『ラーメンガール』がある。
 後者はアメリカ娘がラーメン屋で修行する話である。

Wikipedia より
ラーメンガール(英: The Ramen Girl)は、2008年のアメリカ映画。

中国発祥ながら今や日本人のソウルフードの一つである「ラーメン」を通じ人間的に成長していくアメリカ人女性を描いた作品。
ほぼ全編日本ロケで制作されている。
ハリウッド映画では、純粋な日本人という設定の登場人物を,韓国系や中国系の俳優が演じる事が多い(逆もまたある)が、本作は作中の日本人キャストは全て日本人俳優、しかも一流どころの俳優陣で固められている。
さらに在日朝鮮人の設定のキャストであるトシを、実際に在日朝鮮人のパクが演じるなど、そのキャスティングは徹底している。

頑固親父役を西田敏行が演じることは当初からアッカーマン監督に決定されており、過去にTVドラマ「西遊記シリーズ」を通じて西田と交流のあった奈良橋陽子が西田を海外進出させたいという願いから実現した。
また、スタッフの98%が日本人で監督以外はほぼ日本人でハリウッド映画の現場とは到底思えない状態だったという。

伊丹十三監督によるラーメン映画の傑作「タンポポ」をオマージュして終盤登場する「ラーメンの達人」はタンポポで主役を演じた山崎努がキャストされている。

全編を通じて日本人キャストは日本語でアメリカ人キャストは英語で伸び伸びと演技している。
さらに日本人キャストが英語、アメリカ人キャストが日本語を話すシーンも、演じる俳優の素のままでカタコトで話し、真実味を出している。
日本語と英語双方を話せる設定のキャストは、実際に話せる俳優が演じている。
アビーと前住の怒鳴り合いはほとんどが西田のアドリブ。
当初はアッカーマン監督がアドリブでの日本語の意味をいちいち確認して議論することもあったそうだが、西田がそうした役者だと理解してやめたという。

外国人には到底理解しがたい日本人の食文化に対する異常なまでのこだわりや真摯な姿勢、便所掃除にさえ手を抜かない接客意識、たかがラーメンを「ラーメン道」にまで昇華させた情熱、伝統的な衛生観念[2]などが、脚本にしっかりと盛り込まれている。

この映画でヒロインを務めたアビー役のブリタニー・マーフィは本編公開の翌年である2009年12月20日に32歳の若さで他界した。




●The full movie the ramen girl
2013/05/24 に公開





●[Japanology Plus] Having Some Delicious Ramen ラーメン Season 1 EP 2
2015/03/05 に公開

 

ロケットニュース24 2015/08/13
http://rocketnews24.com/2015/08/13/620199/

家系ラーメンマニアが教える「真の美味しい家系ラーメン店の見分け方」

  集英社「週刊プレイボーイ」運営のニュースサイト『週プレNEWS』が、“まずい家系ラーメン店の見分け方”を2015年8月13日掲載の記事で紹介していた。

 こ、これは家系ラーメンマニアとしてはぜひ読まなければなるまい! 
 と思ってさっそく読んだところ
 ……なんじゃこりゃあああああああああ! 
 違うよ!! ぜんぜん違うよ!!!

 と、「この人本当に家系ラーメンの店に詳しい人なの?」と疑わざるを得ない、あまりに的外れな内容だったのである。
 正直家系ラーメンを愛する者としては、まったく参考にならないレベルだったのだ。

いったいドコが的外れなのか? 
 家系ラーメンマニアの筆者が考える「美味しい家系ラーメン店の見分け方」と合わせて、指摘したいと思う。

●・店の外まで豚骨の香りが漂っている店が美味しいという嘘

週プレNEWSによると、まずはじめに書かれていたのは、 “美味しい家系ラーメンは店の外まで豚骨の香りが漂っている” ということ。
 正直言って、完全に的外れな見分け方である。

 私からすれば、そういった店は40~60点のレベルに達することはあるが、高得点になることはまずありえない。
 なぜならば、店の外まで豚臭くなるような店は完全にスープの炊きすぎだからだ。

 本当に美味しい店は、店内にほのかに豚骨の香りがする程度。獣臭くない美味しいスープを作るには豚骨の旨味やコクだけをスープに抽出することが重要。
 炊きすぎて臭みまで出してはいけないのである。

●・卓上調味料の減りが早いという嘘

 次に週プレNEWSが教えていた見分け方は、“美味しい繁盛店は客の回転が速いので、卓上調味料の減りが早い” ということ。
 これも私から言わせれば、0点レベルの見分け方。残念!

 なぜならば、本当に美味しい家系ラーメンは卓上調味料を入れる必要が無いからである。
 もちろん調味料が古くなってしまうのは良くないので、調味料で見分けるとしたら「調味料入れが小さく、まめに入れ替えができるようにしている」ことだろう。

 調味料をガンガン入れて食べるのは、週プレNEWSであまりおススメしていなかった “冷凍スープを使用している個性の無い店” でやることなのだ。
 本当にウマい家系ラーメン店なら、注文時にリクエストする味の調節程度で “自分好み” にしてもらうスキルがあるはずではないか?

●・筆者が教えるその他の見分け方

 以上が週プレNEWSが教えていた見分け方と、それに対する反論である。
  だが、この2つだけでは、まだ本当に美味しい家系ラーメンを見分けることは難しいかもしれない。
 そこで最後に、その他の美味しい家系ラーメン点の見分け方についてもいくつか紹介しておこう。

 たとえば「ライスが美味しい」こと。
 家系ラーメンのスープはライスに非常に合うので、ごはんの美味しさも麺の美味しさと同じレベルで大事。
 ほかには「酒井製麺の麺を使用している」ことも上げられる。
 酒井製麺ではないとダメということではないが、多くの美味しい家系ラーメン店が使用しているので、酒井製麺の麺箱があったら一定の美味しさはクリアしていると言っていいだろう。

 その他にも多くの見分け方があるが、今回はこれぐらいにしておこう。
 他の家系ラーメンマニアのみんなにも納得していただけたのかが心配だが、今までの経験上、こういった店は絶対美味しいと確信している。
 ラーメンが好きだけど家系ラーメンの魅力をまだ感じられていないという人は、ぜひ参考にしてほしいぞ!


 ところでこの「家系ラーメン」って何だ?

Wikipedia より

家系ラーメン(いえけいラーメン)は、1974年以降に登場した神奈川県横浜市磯子区・西区発祥の
豚骨醤油ベースで太いストレート麺を特徴とするラーメンおよびそのラーメン店群
である。
ラーメン店「吉村家」を源流とする。
定義は曖昧であり諸説がある。
横浜ラーメンと呼称されることも多いが、より以前から存在する横浜市中区ルーツのラーメンとは異なる。

元々屋号に「〜家」とついているところが多かったところから、家系と呼ばれるようになった。
店名の「家」はほとんどが「や」と発音するが、「家系」は「いえけい」と発音する。

豚骨や鶏ガラから取ったダシに醤油のタレを混ぜ、
鶏油を浮かべた「豚骨醤油ベース」のスープ、
コシのある太麺と、
小松菜、チャーシュー、海苔のトッピングで構成される
 家系ラーメンを出す店は、国内とアジアを中心に約1000店舗あるとされる。
 そのうち、横浜市内には、約150店舗あるという[4]。

 家系ラーメン店では、客の要望に応じて、醤油味の濃さ、スープの脂の量、麺のゆで加減を調整して作るサービスや、卓上の調味料(おろしにんにく、豆板醤、ショウガ、ごま、胡椒、酢など)を客が自由に使えるサービスが行われていることが多い。

 なお、吉村家又はその系列の店で修行したことを「家系」の絶対条件とし、味が似ていてもそれ以外は亜流とする考え方もある。
 知名度の上昇に伴い、関東地方を中心に吉村家の系列でない家系、あるいは横浜ラーメンを呼称する店が増加している。



ダイヤモンドオンライン  2015年8月22日 唐仁原俊博[ライター]
http://diamond.jp/articles/-/77190

激増も多くは短命!
ラーメン県で生き残る店の条件



 東京のオフィス街では、夏であっても昼飯時にラーメン屋に行列ができたりする。
  立ち食いそばの店もいっぱいだ。
 かくも麺が好きすぎる日本人。

 NTTタウンページ株式会社が7月28日に発表したランキングによると、人口10万人当たりの
 ラーメン屋のタウンページ掲載件数1位は山形県(42.3件)。
 2位は新潟県、
 3位は栃木県と続く。

■不動のトップ山形県
「そば屋でラーメン」も

 山形とラーメン。
 正直、ピンとこない人は多いだろうが、このランキングでは山形県が10年もの間、不動のトップ。
 最近はコンビニでも見かけるようになった「冷やしラーメン」も山形発祥だ。
 山形は東北とはいえ、夏場は本当に暑い。
 氷を浮かべた冷やしラーメンなんかは、気候的に確かにぴったりかもしれない。

 山形市出身の知人の実家に遊びにいったことがある。
 ちょうど真夏だったので、「冷やしラーメンを食べたい」という私に対して、「あれはたいしてうまくない」と、近所のそば屋に連れていかれた。
 黙ってそばを食えというつもりかと思えば、メニューにはラーメンも載っている。
 そう、山形ではそば屋もラーメンを出すのだ。

 その店では冷やしラーメンも置いていたが、名前にひかれ、「鳥中華」なるラーメンを注文。
 あまり中華っぽくなかったのはいい思い出だ。
 横でそばをすする友人に、「山形ってねぎでそばを食うんじゃなかったっけ」と聞くと、「それは福島だ」と怒られたりもした。

 友人いわく、
 「冷やしラーメンも鳥中華もご当地ラーメンではあるが、山形ラーメンではない」。
 ラーメン王国山形には数多くの店があり、代表させるラーメンなんぞない。
 しいて言うなら、すべてが山形ラーメン。
 そんなことを言われた。

■京都でラーメン屋が激増中!
閉店の7割が開業3年以内という事実も

 ランキングに戻ると、上位は北海道・東北・甲信越・北関東、そして九州に密集している。
 ただ、北海道といえばみそラーメンとすぐに連想できるが、ほかの県に関しては、あまり「これ」というものが思い浮かんでこない。

 私は出身が鹿児島なのだが、鹿児島は九州のなかで人口当たりのラーメン屋掲載数がトップ。
 私にとって、鹿児島のラーメンというと実家から歩いて3分の食堂のものだったが、老夫婦が店をたたんだために、もう二度と、あの味を堪能することはできない。
 ベチャベチャのチャーハンも好きだったのに。

 鹿児島のラーメンと博多ラーメンを混同して「細麺で、高菜がのってて……」と想像する人もいるだろうが、それは大間違い。
 細麺もあれば、中麺もあれば、上にキャベツが乗っていたり、もやしだったり、スープも白濁だったり澄んでいたりさまざまで、当然味も違う。
 つまり、典型的なラーメンが存在しない。
 これは山形と似たような状況だ。

 考えるに、「○○ラーメン」という名を冠さずとも、ブームにならずとも、その店の独自の味が地元民に受け入れられ、愛されることが、ランキング上位県のラーメン屋を支えているのではないだろうか。
 店が長続きすれば、自然とラーメン屋も増えてくる。

 そういえば、私が学生時代を過ごした京都で、ラーメン屋が激増している。
 京都といいつつ、ごく限られた一部のエリア「一乗寺」でのことだが、雨後のたけのこのようにラーメン屋が誕生している。
 もともと、一乗寺を南北に走る縦の通りにはラーメン屋が立ち並んでおり、10年以上前から、ラーメン激戦区と呼ばれていたが、縦が飽和すれば今度は横とばかりに、十字になった道ぞいにずらずらっとラーメン屋が並ぶ。

 長年営業を続けている老舗のラーメン屋もあれば、「量さえ多ければいいんだろ」と言わんばかりの店もあるが、こんなに密集して出店していて、未来は明るいのだろうか。

 株式会社シンクロ・フードの発表では、閉店したラーメン屋のうち、開店1年以内の店舗が40%を超えている。
 さらに、3年以内で閉店した店にまで広げると、70%強という数字だ。
 ラーメン屋は出店したい業態の上位トップ5に入る任期業態でもある。
 準備資金が少なくても開店でき、料理人としての技能をそこまで求められることがないゆえに出店したいと思う人が多いようだが、店を続けることはとても難しいようだ。
 数年後に一乗寺の道がすかすかになっていないことを祈りたいものである。



サーチナニュース 2015-12-05 11:21
http://news.searchina.net/id/1596200?page=1

日本人はラーメン店主も世界的デザイナーも「職人」として尊重する、
だから作れる「極限の品」

 中国の男性向けファッション情報サイトのYOKA男士網はこのほど、日本の「職人文化」に注目する記事を発表。
  日本人は「ものづくり」において、扱う対象ではなく「職人としての姿勢」を問題にするなどと指摘した。
 複数のニュースサイトも同記事を転載した。

 同記事はまず、日本で職人文化が形成されたのは江戸時代と紹介。
 日本の職人は、仕事の出来不出来は人格面に関係し、栄誉と恥辱につながると考えたと論じた。

 続けて、職人たりうるかどうかは仕事の種類には関係なく、ラーメン店の店主でも、世界的なデザイナーでも、すばらしい仕事をする者が「職人」と呼ばれると説明。

 一方の「職人」は、自らの“作品”のレベルを不断に引き上げたと論じた上で、
 「日本全体のこの種の精神が日本独特の“職人魂”を燃え立たせ、
 民族全体の創造力が凝縮し、
 『MADE IN JAPA』を世界に冠たるものにした」
と論じた。

 さらに日本では人間国宝の制度が1955年に設けられたと解説。
 国家が資金を投じて保護することで、技能の消滅を防止していると紹介した。

 日本の工芸品の特徴としては
 「狭く細長い島国で、大陸のようは雄大な自然には欠ける」
と説明。
 日本人は逆に精緻さを求め、小さな空間を上手に利用する民族性を得たとの考えを示した。

 記事は、日本人の細かさを好む気質には、
 「限られた資源だけを使って多くの事を成しとげる」
という事情も関係しているようだと推察した。

 さらに、日本の宝飾品にも日本人の気質が反映されているとして、
 「どんな落ち度も見逃さない」、
 「たゆまず改良し創造する」
として、
 「日本の職人はすべての知恵を投入して常に改良と革新を続ける」
と評価した。

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◆解説◆
 日本で「職人文化」が発達したのは「儒教のいいとこ取りをしたから」との見方もある。
 儒教は学ぶこと通じての自己の向上を強く促す一方で、「君子は用途の限定された専門家ではない」などとも説いている。
 つまり、特定の技能を高める「職人」への評価は低くなってしまう。

 儒教だけでなく、仏教も「職人文化」に対する阻害要因になりうる。
 仏教が第一に求めるのは「解脱への道」であり、「労働を評価」することではないからだ。

 江戸時代初期には、天下が太平になったこともあり、
 「日々の仕事で、仏教信心の時間がなくなる。来世が恐ろしい」
との悩みが発生した。
 評論家の山本七平氏は、江戸時代には
 「一心不乱に仕事に励むことは、仏道修行と同じ」
との価値観が発生し、広く受け入れられたと指摘。
 ちょうど、プロテスタントで
 「一般人の労働も、宗教的行為である」
との思想が発生したのと同様で、日本が急速に資本主義を取り入れ近代化に成功した大きな原因との考えを示した。

 江戸時代に「職人文化」が定着したことには、仕事の種類や得られる報酬ではなく、
 「労働そのものに大きな意義を認める」
日本人の意識が関係していると理解できる。






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