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ニューズウイーク 2015年10月8日(木)16時17分 高口康太(ジャーナリスト、翻訳家)
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-3975.php
農民がショベルカーを「土砲」で攻撃する社会
なぜ爆薬が簡単に入手でき、
「テロではない」とされる爆破事件がこれほど頻繁に起こるのか
2015年9月30日午後、広西チワン族自治区柳州市柳城県で連続爆発事故が起きた。
死者10人の惨事となったこの事件は、中国社会特有の「暴力」の問題抜きには語れない。
■「個人的な犯行」とされた同時多発爆破事件
犯行には、18個もの時限爆弾を政府庁舎、スーパー、病院など市内各所に送り込み、一斉に爆発させるという大がかりな手法がとられた。
爆弾は宅配便荷物に偽装されていた。
当初は宅配業者が爆弾を運んだとの噂が流れたが、実際には容疑者本人や雇われた人間が運んでいたという。
同時多発爆破事件ということから組織的なテロではないかとも見られたが、中国警察は事件当日の夜には容疑者を特定している。
現地農民の韋銀勇という33歳の男性で、経営していた採石場が閉鎖されたことに対する報復だという。
当局は、テロではなく個人的な犯行との見方を示した。
また韋も爆発によって死亡していたと公表されている。
国慶節(建国記念日)前日に起きた事件だけに、祝賀ムードに水を差さないようにするためのスピード解決ではないか、犯人をでっちあげたのではないか、との憶測も飛び交ったが、中国当局が強力なメディア検閲を実施しただけに中国メディアもこれ以上の情報を伝えていない。
中国青年報の報道によると、問題となった採石場閉鎖は2013年のこと。
土砂崩れなどの災害リスクがあること、経営者である韋が採石場を管轄する農村との間で貸出料をめぐり対立していたことが原因だという。
閉鎖直後、韋はSNSに「殺人の時が来た」と犯行を匂わせる書き込みをし、警察に公共秩序騒乱罪で短期間の拘留処分を受けている。
■自爆や爆破、土砲で当局に抗議する人たち
規模の違いこそあれ、実は、爆破事件そのものは中国では珍しい話ではない。
2013年には北京空港で車椅子の男が自爆する事件が起きた。政府の治安部隊に暴行を受け半身不髄になったこと、その保障を求めて陳情を繰り返したが認められなかったことが動機だった。
2011年には、高速道路建設のために農地を収用された男が補償金額を不満に思い、江蘇省撫州市の政府機関3カ所を爆破する事件が起きた。
この事件でも容疑者は現場で死亡している。
最近話題となったのは山東省の土地収用現場だ。
強制的な収用に抗議する農民が、ショベルカーに対し、手製の「土砲」を打ち込む映像がネットで公開され注目を集めた。
この土砲は日本語で言うところの迫撃弾である。
鉄パイプの片側を溶接し、火薬と砲弾を詰めて発射するというきわめて原始的な兵器で、日本でもかつて左翼過激派が多用した代物だ。
火薬さえあれば比較的容易に作れるために、農村部での抗争ではしばしば登場する。
「爆破」の矛先は政府だけとは限らない。
2013年2月、広東省掲陽市で村同士の「械闘」(村と村の抗争など、武器を持った集団同士の戦いを意味する)が起きたが、戦いのきっかけは旧正月のお祭りの行列が騒がしいというクレームだった。
数百人が集まり、敵方に向けて花火やら土砲やらを打ち込んだり、火焔瓶を投げつけたりと大変な騒ぎになった。
なお現地を取材した作家の安田峰俊氏によると、戦った寮東村の李一族と劉畔村の劉一族は数百年前の入植時代からの怨恨を抱えており、100年前にも大規模な戦いを繰り広げていたという。
外国に住む華僑の支援によって双方の村は重火器を大量にそろえ、10年以上も械闘を続けたというから驚きだ。
今回の連続爆破事件では、容疑者の韋が元採石場経営者ということで、爆薬を持っていたとしても不思議ではない。
だが、実はそうした経歴がなくとも、中国の田舎では爆薬の入手は比較的容易だ。
中国には小規模な鉱山や花火工場が無数に存在しており、火薬の管理は徹底されていない。
流出した火薬が報復や抗議、そして械闘のために使われる。
■中国社会の「暴力」を理解するために
中国、とりわけ農村では、爆破事件や土砲による砲撃が珍しい話ではない。
そう聞くと、なんとも野蛮な社会のように思われるかもしれないが、彼らの「暴力」はそれなりの合理性を持っている。
近代国家では政府が暴力を独占する。
軍や警察などの国家権力のみが暴力を掌握するかわりに、一般の紛争解決には司法という手段を提供するという仕組みだ。
しかしこの仕組みが中国では機能していない。
司法は党と政府と一体化しており、公正な判決は期待できない。
陳情という手段もあるが、取り上げられる確率は決して高いものではない。
そこで別の手段が採用されることになる。
それが爆破や砲撃であったり、あるいは道路を封鎖して交通を麻痺させることであったり、デマを含めた耳目を引く情報をネットやメディアに流して騒ぎを起こすことだったりするわけだ。
つまり、国家が違法としている紛争解決手段(本稿ではカッコつきで「暴力」と表記する)が司法以上の有効性を持つと考えられている。
先日、北海道の空港で航空便欠航に抗議した中国人が国歌を唱い、横断幕を掲げて抗議し話題となったが、大声をあげなければ事態は解決しないという中国的発想にほかならない。
この発想だが、党・政府と司法の一体化という中国の現状を背景にしている一方で、前近代との連続性もある点が興味深い。
中国法制史研究は、問題解決にあたり裁判と「暴力」を融通無碍に選択する中国社会像を描いている。
例えば土地争いにおいて裁判が有効だと思えば裁判を選択し、「暴力」が有効だと考えればこちらを選択する。
一つの事案についても時に裁判と「暴力」の選択肢はしばしば切り替えられる。
また前近代との類似で言うと、「図頼」が象徴的だ。
これは「相手方の圧迫によって、自分側の関係者が自殺した」と抗議する手法だ。
同様の事例は現代でも見られる。
「政府が農地を収用しようと圧力をかけてきたので、親が苦痛に思って自殺してしまった。
さあどうしてくれる?」
というケースが一般的だ。
土砲を野放図にぶっ放す社会ならば人一人が死んでも大したことがないようにも思われるが、そうではない。
人間を死に追いやるのはきわめて悪辣な行為だと観念される。
政府が誰かを死に追いやった場合、大変な批判を受けることになるのだ。
今回の連続爆破事件も、歴史という縦軸と現代社会という横軸の焦点に存在している。
中国あるいは中国人との接触が増えつつある今、日本人も改めてこうした中国的発想を理解する必要に迫られているのではないか。
[執筆者]
高口康太
ジャーナリスト、翻訳家。1976年生まれ。千葉大学人文社会科学研究科(博士課程)単位取得退学。独自の切り口から中国・新興国を論じるニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。著書に『なぜ、習近平は激怒したのか――人気漫画家が亡命した理由』(祥伝社)。
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