『
https://www.youtube.com/watch?v=qKCjriCr6FI
https://www.youtube.com/watch?v=Sf8b0kQm2SE
●旅の重さ 1972 - Journey Intro Solitude full movie HD Japan Movie
2015/02/11 に公開 26,310』
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●あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション「旅の重さ」2015/8/5リリース!
』
『
もう20年くらい昔の話だと思う。
古本屋で漁っていたとき、数合わせで買ったのが『旅の重さ』。
著者の名前が「素九鬼子」。
どうみてもシロウトが練りに練ってつけたカッコづけの場違いな名前。
それに対して題名が『旅の重さ』という平凡の中の平凡。
この落差に驚くが、さらにその背景は四国なのだがでてくる言葉が「ママ」。
古き田舎の情景に「ママ」はないだろう、とこの本しばらく本棚で寝ていた。
読む本が切れて、まあシロウトの秀作でも読んでみるかといったつもりでこの本を手にした。
だが、読み終わってびっくり仰天。
うー、すごい。
またこれ、とんでもない本でもあった。
この作家の本はまだ別にあるのだろうかと、急いで古本屋へ駆けつけた。
そのころはまだ、インターネットが十分に発達していない時代。
本屋にいくしかない。
一冊あった。
『大地の子守唄』。
いまなら検索すれば、どこかでヒットし、とりよせられる。
さてこの本、どこがとんでもない本であったのか。
実をいうと筑摩書房がかってに著者のことわりもなく出版してしてしまったという前代未聞の驚愕の本だったのである。
そうさせるだけの魅力をもった作品だったのである。
この本の「あとがき」をコピーしてみよう。
『
★ 『旅の重さ』編集部あとがき「この作品の上梓にあたって」
「 作家由起しげ子さんが、昭和四十四年末なくなられたとき、机辺にひと山の原稿が積み上げられていた。
由起さんに私淑する人たちが閲読を乞うために送りつけて来た小説や随筆の類とみられた。
由起しげ子さんが、文芸雑誌『作品』に小説「本の話」を発表し芥川賞受賞の機縁をつくった、当時の『作品』誌の編集長八木岡英治氏が引き続き由起家と親交 があったため、遺族の請いによってその原稿類の整理に当たられたが、その中に一篇、強く同氏の心を捉えて放さぬ作品があったといわれる。
大型ノート五冊に丁寧に浄書してあり、イラストも貼り込まれ、そのまま出版できるほどの姿に整えられていた。
同氏はノートに表記された「旅の重さ」の作者「素九鬼子」の居所をたずねられようとしたが、遂に目的を達せぬまま、小社(筑摩書房)編集部に原稿を示され、処置を相談された。
直接作者に接することなく、
従って厳密な意味での合意もなく新人の小説を出版するということは異例に属するが、
そのためらいのために
この刊行を断念する気にはなれなかった。
それだけの魅力と価値がある作品
と信じて、あえて世に問う次第である。
新聞広告その他で呼びかけたが、われわれは、
いまだ素九鬼子さんにお会いできない。
一日も早くこの未見の作者にお会いできることを念じている。
』
つまり、この得体のしれない作家のゲラを筑摩書房編集部がなんとしても活字化したいと思わせるだけの力量をもった作品だったということである。
ちなみに書くと2007年頃、つまり今から8年前のWikipediaにはこうでてくる。
『素九鬼子を編集中 』
と。
なのに「編集中」であったということになる。
いま、Wikipediaではこう出てくる。
『
素 九鬼子(もと くきこ、本名:内藤 恵美子〈ないとう えみこ〉、
1937年1月28日 - )は、日本の小説家。
愛媛県西条市生まれ。愛媛県立西条高等学校を1年で中退。
結婚後に起稿された処女作『旅の重さ』の原稿を由起しげ子に送るが、そのままになっていた。
由紀の死後、筑摩書房が遺品を整理中に偶然、原稿が発見されて刊行され、
ベストセラーとなり、
刊行後に知人からの知らせで初めて自分の作品が出版されていることを知り、
名乗りでたあと作家となる。
作品は映画化もされた(監督:斎藤耕一)。
1974年『パーマネントブルー』で直木賞候補、
同年『大地の子守唄』、
1975年「ひまやきりしたん」で三度直木賞候補となる。
1977年以後、作家活動を停止する。
夫は法政大学経営学部長を務めた内藤三郎。
』
なをこの作品、上記のように映画化されている。
そしてこれ、’高橋洋子、秋吉久美子のデビュー作。
そして「大地の子守唄」は原田美枝子のデビュー作でもある。
今年になり、DVD化されて市販されるとのことである。