2015年8月16日日曜日

日本三大美人って誰?:「光明皇后・小野小町・藤原道綱母」と覚えていたのだが

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● 光明皇后

 日本三大美人というのは
 「光明皇后(光明子)・小野小町・藤原道綱母」
だと思っていたのだが、調べてみたら光明皇后は入っておらず、「衣通(衣通郎姫)姫」だという。


教えてgoo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7737788.html

問::日本三大美人について
答え::日本三大美人=衣通(衣通郎姫)姫・小野小町・藤原道綱母


★.衣通(衣通郎姫)姫=そとおりひめ(そとおりのいらつめ)と読み、允恭天皇の妃。日本書紀・古事記に美人と表記されています。
★.小野小町=平安時代前期9世紀頃の女流歌人。
★.藤原道綱母=蜻蛉日記の作者。尊卑文脈(公家中心の系図集)に「本朝第一美人三人内也」と書かれています。

 小野小町と藤原道綱母は著名な人物。
 では「衣通姫」とは?


衣通郎姫伝説
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54585656.html



 「衣通姫(「そとおしひめ」または「そとおりひめ」と読む)は、歴史上の人物としてよりも、むしろ、
和歌三神の一人として和歌の世界の中で知られている古代の女性である。
 
 事の起こりは、紀貫之が書いた「古今和歌集」の「仮名序」の中の文章である。
 貫之はその中で小野小町の歌を評して、
 「小野小町は古の衣通姫の流(りゅう)なり。
 あわれなるようにて、つよからず、いわば、よき女のなやめるところあるに似たり。
 つよからぬは女の歌なればなるべし」
と書いている。

 これが、「小野小町の歌は衣通姫の歌と同じように、嫋々たる女心を歌ったものである」と云う意味であることは云うまでもない。
 しかし、この文章が誤解されて、もっと広い意味で、小野小町と衣通姫とが似ていると解釈するようになる。
 日本書紀が衣通姫を絶世の美人であると述べているために、
 小野小町もまた類稀(たぐいまれ)な美人であったと理解されるようになる。
 そして、深草少将が、拒絶されてもされても百夜の間、小町の家を訪ねたと云う物語にまで発展してゆく。
 他方では、小野小町が優れた歌を数多く作っているので、
 衣通姫の歌もまた抜群に優れたものと考えられるようになり、
 遂には、和歌の神様として神格化され、和歌三神の一人にまでなる。

 しかし、日本書紀が書き留めて、残されている衣通姫の歌は僅かに二首である。
「わが背子(せこ)が来べき宵なり 小竹(ささ)が根の蜘蛛(くも)の行い 今宵(こよい)著(しる)しも」
「常(とこ)しえに 君に遇えやも いなさとり 海の浜藻の寄る時々を」
 これらは、たしかに叙情性の豊かな歌であり、それなりに見事なものではある。
 しかし、神業と云わねばならぬまでのものとは考え難い。
 和歌の神様とされるほどの歌ではない。


 ところでなぜ「光明皇后」が三大美人であると覚えてしまっていたのか?
 本当に光明皇后は日本三大美人ではないのか?
 調べてみました。


百人一首 談話室
http://100.kuri3.net/archives/171

★.古今集序での小野小町評
 小野小町は、いにしへの衣通姫の流なり。あはれなるやうにて強からず。
 いはばよき女の悩めるところあるに似たり。強からぬは 女の歌なればなるべし
 →「衣通姫の流れ」=絶世の美人、そして「強からず」 いいじゃないですか。

 (余談)
  世に言う本朝三美人は
 衣通姫、光明皇后(聖武天皇の皇后)、藤原道綱母
  →小野小町は入っていない
 誰がどう決めたのか知りませんが、、。



教えてgoo
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1329341.html

問::こんばんは。突然ですが「本朝三美人」とはどういう意味なのでしょうか?
 平安時代ものの小説で、~自分の娘は”本朝三美人”の一人とうたわれるほどの器量良しで~というような文が書いていたのですが、本朝三美人という意味がよくわかりません。どなたか教えて下さい。

答え::
 美人とされている有名どころ三人です。
 本朝というのは古代から平安と幅が広いですね…。

★江戸の三美人(明和三美人)
1.笠森 お仙 2.柳屋のお藤 3.蔦屋(つたや)のお好

★寛政の三美人
1.難波屋おきた 2.高島屋おひさ 3.富本豊雛

★本朝三美人
1.右大将藤原道綱母 2.衣通姫(そとおりひめ) 3.光明皇后


 やはり光明皇后は三大美人の一人なのである。
 ところが、肝心要の小野小町が抜け落ちている。



 「なぜだ!」
ということになる。


小野小町の研究
http://homepage3.nifty.com/3701at-wb/21komati/koma21/koma21.html

  ちょっと寄り道になりますが、「本朝三美人」をご存知でしょうか。
 衣通姫、光明皇后(=聖武天皇の后)、右大将道綱の母(=「蜻蛉日記」の作者)
の3人のことで、
 人によっては
光明皇后ではなくて我らが小野小町を数える人もいる
ようです。
  この「本朝三美人」の根拠は、南北朝初期に成立した「尊卑文脈」という系図専門書の、
 藤原倫寧の女(娘)の注記のところに
 「歌人」「道綱母」「本朝第一美人三人内也」
とある点です。
 残念ながら道綱母以外のニ人が誰なのかは書かれていませんが、衣通姫と小野小町だったかもしれません。


 ということは道綱母は不動の大美人ということになる。




  ある説によると、光明皇后は「皇后」の位からして美人に入れるのは畏れ多いということで、代わりに衣通姫を入れたのだ、という。
 衣通姫は「妃」であり皇后ではない。
 つまり側室になる。
 一般論から言うと三大美人に小野小町が入っていないのはどうみてもバランスが悪いように思われる。
 とすれば、やはり
 「光明皇后(光明子)・小野小町・藤原道綱母」
で決まるのではないかと思うのだが。
 一番わかり易いのは「本朝四大美人」にすれば円満解決になるのだが。
 それができないのが
 「本朝第一美人三人内也
という一文ということになる。
 本朝第一美人
ならよかったのに。

 ちなみに世界三大美人というのは
 「ヘレネ・クレオパトラ・楊貴妃」
である。
 これは決まりである。
 他はこじつけの異説にすぎない。
 この中で「ヘレネ」というのが分かりにくいが、ギリシャの「トロイア戦争」を引き起こした女性である。
 つまり「トロイア(トロイ)戦争」とはこの絶世の美人の争奪戦だったということである。
 人の女房をギリシャから強奪してきたイケメンが「パリス」である。
 こやつがトロイ戦争の元を作ったということになる。


● ヘレネとパリス


● クレオパトラ


 ●楊貴妃







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